レポート2016/08/25
初演30年記念 「ザ・カブキ」創作の舞台裏――世界初演に携った制作スタッフ座談会より①
今年で初演30周年を迎える「ザ・カブキ」は、モーリス・ベジャールと黛敏郎のコラボレーションによって生まれ、東京バレエ団が世界の舞台で踊り続けてきた名作です。世界初演から本作に携わってきた照明の高沢立生、音響の市川文武、技術監督の立川好治の3人による座談会(2013年公演のプログラム掲載)を3回にわたって抜粋再録いたします。
「"忠臣蔵"をやりたい、作曲は黛敏郎に」と言ったベジャール。
──1986年4月の「ザ・カブキ」世界初演の際、高沢さん、市川さん、立川さんはともにベジャールさんの創作の現場に立ちあわれ、その後も国内外の公演でスタッフを務められてきました。今回は、スタッフの皆さんがベジャールさんとどのようにお仕事をされ、この作品を創り上げていかれたのか、お話をうかがいたく思います。
立川 私はまだ駆け出しというか、当時舞台監督を務めていた増田啓路のアシスタントをしていたのですが、当初は、日本人の心に極めて深く根ざしている忠臣蔵の世界を、西洋の人がどこまで理解できるのだろう、という雰囲気があったように思います。
高沢 ベジャールさんに振付をお願いしていると聞いたのは、初演の2、3年前だったかと。
市川 83年の秋でした。
高沢 84年が東京バレエ団の創立20周年。そこで上演する作品をベジャールさんにお願いしていたのでしたね。
市川 83年の秋に、やっとOKを出したベジャールさんが「『仮名手本忠臣蔵』をやりたい、作曲は黛敏郎に頼みたい」と言われた。ベジャールさんは三島由紀夫が好きで、三島原作の黛さんのオペラ『金閣寺』を聴いていたのです。(東京バレエ団代表・故)佐々木(忠次)さんは喜んですぐ黛さんに電話をかけてきた。ちょうどその時、僕は黛さんとスタジオで中島貞男監督の「序の舞」という映画の音楽を録音している最中でした。黛さんに聞いたら、「ベジャールのバレエの作曲をしてほしい」という電話だったという。「"忠臣蔵"をバレエにするんだってさ」と。ええっ? 歌舞伎ならほかにもあるのに、よりによって男ばっかりの「忠臣蔵」かと(笑)。それが発端でした。
──そこから、黛さんは作曲を始められた。
市川 まずは黛さんと佐々木さんとで、パリのアパートにベジャールさんを訪ねた。そこでベジャールさんは「全体の構成は任せる。好きなように書いてくれ」と言われた。黛さんは、各段の冒頭を義太夫で導入し、オーケストラにつないでゆくという構成でプロットを創り、ピアノ譜にして、ベジャールさんと確認しました。全十一段の浄瑠璃台本を、原稿用紙一枚にも満たない程に短く抜粋し、物語をまとめた黛さんの構成力はさすがです。義太夫節は、三味線に当時若手ナンバーワンと評され、しかも越路大夫は、の三味線を勤めていた、現在、人間国宝の鶴澤清治さんと、義太夫は(五代目)豊竹呂太夫さんにお願いしました。
──それが、85年の秋だったのですね。
市川 まずは義太夫を録音、その後オーケストラを録音しました。オケの録音にはベジャールさんも立ちあわれました。それをトラックダウンしてベジャールさんにお渡ししたのが12月の暮れ。
高沢 ベジャールさんは元日が誕生日で。
市川 誕生日会をやりましたねえ。
高沢 で、1月にリハーサルして、その後一度帰国されて、3月にまた来日された。
市川 ぜひ知っていただきたいことは、ベジャールさんは"外国人なのに日本の事を良く知っている"というレベルではない、ということです。例えば「禅」。ベジャールさんはヨーロッパに禅を広めた名僧、弟子丸泰仙師の高弟で、師とともに座禅の指導をしていたほどです。三島由紀夫もフランス語に翻訳されていた作品は全て読んでいた。その三島が「葉隠」(武士道を論じた、江戸時代中期の書物。佐賀藩士山本常朝の談話を筆録したもの)を座右の書としていたことを知り、ベジャールさんも読んでいました。「ザ・カブキ」のフィナーレが、なぜ切腹で終わったのかは「葉隠」にヒントがあると思います。赤穂浪士が仇討したのはいいが、遅すぎる。それはさておき、なぜ吉良の首をとった後すぐ泉岳寺で切腹しなかったのか。そう「葉隠」に書いてあります。当初の構成では、雑駁な現代の街からタイムスリップした青年が忠臣蔵の世界に入り、討ち入りを果たし、またに現代に戻るという構成になっていました。おそらくベジャールさんは振付をはじめてから「葉隠」を思い出し、切腹で終えることに変更した。ところが、切腹するような音楽は書いていない! ベジャールさんは黛さんのレコードをたくさん聴いて、「涅槃交響曲」が「ぴったりだ!」と気に入り、使わせてくれるよう黛さんに強引に頼んだということなんです。
※その②に続く。
photo: Ryu Yoshizawa
高沢立生:1970年に東京バレエ団の第2次海外公演に照明スタッフとして随行した後、NBSの招聘する外国のオペラ、バレエ公演のほとんどに携わっている。
市川文武:1986年「ザ・カブキ」以降、東京バレエ団等、舞台芸術の音響も担当し、現在に至る。
立川好治:1977年「エチュード」の初演から東京バレエ団のスタッフとして参加。現在まで東京バレエ団技術監督を務める。
2013年「ザ・カブキ」公演プログラム掲載記事抜粋再録
取材・文:加藤智子(フリーライター)