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レポート2016/09/08

オペラ『魔笛』演出家・勅使川原三郎氏インタビュー
 

  あいちトリエンナーレの2016プロデュースオペラとして上演される、勅使川原三郎演出によるオペラ『魔笛』に、東京バレエ団のダンサーたちが出演、4月から断続的にワークショップ、稽古が行われている。本番を約半月後に控えたバレエ団のスタジオで、リハーサル中の勅使川原氏に話を聞いた。 42_MG_2745photo A.Groeschel サイズ小.jpg  ダンサー、振付家、また演出家として様々な作品を手がけてきた勅使川原氏だが、オペラ演出については、「オペラを、"すでにあるもの"として考えず、いまなぜこのオペラを演出、再創作するのかということをきちっと捉えながらやろうと思っています」と話す。そこで重要な役割を果たすのが、東京バレエ団のダンサーたちだという。 「大事にしたいことは、これは"動くオペラ"であるということ。身体が動くのはもちろんですが、実はオブジェも、動きます。舞台には直径8メートルから80センチの大中小のメタリックなリング=円が配され、いろんな動きをする。その中で、ダンサーたちの動きが、とても重要なものとなるのです」 15_MG_0024photo A.Groeschel.JPG  自ら主宰するカンパニー、KARASをはじめ、世界各地のダンサーたちと創作を続けてきた勅使川原氏だが、東京バレエ団のメンバーとは、今回が初顔合わせだ。 「彼らには可能性を感じています。これから、潜んでいるものがもっと出てくるだろうとも感じました。大事なことは、この限られた稽古期間に何ができるかということ。最終的に舞台に出たときに、とても活き活きしたものが生まれる、そういう出会いであると思っています」 39_MG_2722photo A.Groeschel.JPG  稽古中は、「男性の周りを、沿うように歩いて」「ここから、溶ける」と、独特の指示がとぶ。演出助手でダンサーの佐東利穂子氏が、フォーメーションの調整のためにせわしく動きまわるなか、きっかけを見極めようと、音楽に集中するダンサーたち。カウントをとり、振りを確認したくなるような場面も、より正確な動きを引き出すべく、勅使川原氏は様々な要求を出し続ける。 「ダンス、身体というものは、もともとズレるもの。カウントを一番に信用しないで、身体の動きとして重心がどうであるべきか、身体の機能がどうであるか、ということを正確に知覚することのほうが、大事なのです」 装置にリング=円を多用するという舞台、いったいどのような世界が立ち現れるのだろう。 「円はある種、絶対的なものであり、宇宙的なもの、絶対を想定した造形といえるでしょう。『魔笛』というオペラは、絶対的な太陽神を信じる思想と、暗闇、人間の影の部分を強調するものたちの対立が示されます。しかし人間は、絶対を信じたとしても、絶対的なものにはなり得ない。ダンサーが僕にとって必要だと思った理由は、まさにそこです。音楽の中にも、動きの中にも収まりきらない何かがある。人間はどうしようもなく不完全なものである、ということが基にあるのです。この作品は、これから、より面白いものになっていくと思います」  勅使川原三郎演出による『魔笛』は、9月17日(土)、19日(月・祝)、愛知県芸術劇場大ホールにて上演される。 取材・文 加藤智子(ライター) photo:Arnold Groeschel

レポート2016/08/25

初演30年記念 「ザ・カブキ」創作の舞台裏――世界初演に携った制作スタッフ座談会より③
「ザ・カブキ」の海外公演から、一流オペラハウスへの客演が始まった。 市川 これはもう、東京バレエ団最高の古典作品と言ってもいいんじゃないでしょうか。約30年間、全然古びることなく、「今出来上がったばかり」のような新鮮さで観ることができる。『忠臣蔵』という話に目をつけたベジャールさんは凄いですね。 立川 我々の中に『仮名手本忠臣蔵』の劇的な世界を、ごく普通に受け入れられるメンタリティが残っていたんだと思います。逆に、「お前たち、いまだにこうだろう?」と言われている気がしました。東京バレエ団にとっても、私個人にとっても大事な作品です。市川さんもですが、初演のときからずっと、1回も欠かさず現場に立ちあってきましたから。 東京バレエ団はそれまでにも海外公演をしていたけれど、大きなオペラハウスでやるのは、初めて『ザ・カブキ』をもっていった86年の海外ツアーが最初。当時はオペラハウスのどこをつつけばどう動くかというのを知らなくて、あれもダメ、これもダメ、そんな話は聞いていないということがたくさんあって、外国のオペラハウスで仕事をするということはこういうことなんだ、と思いましたね。 _MG_5587(photo_Sébastien Mathé ).jpg photo: Sébastien Mathé 10-07『ザ・カブキ』700回記念スカラ座.jpg photo: Brescia-Amisano/Teatro alla Scala 高沢 機材はどんどん新しくなってきている。照明については、これまでも少しずつ変えてきているけれど、今後新しくすべきところは新しくしていったほうがいいのではないかと思いますね。振りは変わらないけれど、ダンサーが変わっていく以上、作品は変化していくもの。 立川 こういった作品を再演する際には、ダンサーもスタッフも、つねに原典にあたることが大切ですね。歌舞伎で観る、浄瑠璃台本を読む──。ベジャールさんが読み解くように広く、深くというわけにはいきませんが、自分の中で、「ザ・カブキ」をしっかり位置づけ、納得してから現場にいく。そこがとても重要だと思います。 高沢 この仕事に入る前に、歌舞伎座で『仮名手本忠臣蔵』の通しを観に行ったね。昼と夜、通して観たな。 市川 ダンサーたちにも歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』は観てもらいたいですね。「ザ・カブキ」は、ベジャールさん、黛さんという、もう二度と現れないであろう天才たちが、物凄く一所懸命に工夫して結晶させた。これは東京バレエ団の大変な財産です。僕はこの作品で初めてバレエの仕事をして、本や振付を通じてベジャールさんからたくさんのことを教わりました。ベジャールさん、黛さんについては、まだまだ勉強していかなければと思います。 高沢立生:1970年に東京バレエ団の第2次海外公演に照明スタッフとして随行した後、NBSの招聘する外国のオペラ、バレエ公演のほとんどに携わっている。 市川文武:1986年「ザ・カブキ」以降、東京バレエ団等、舞台芸術の音響も担当し、現在に至る。 立川好治:1977年「エチュード」の初演から東京バレエ団のスタッフとして参加。現在まで東京バレエ団技術監督を務める。 2013年「ザ・カブキ」公演プログラム掲載記事抜粋再録 取材・文:加藤智子(フリーライター)

レポート2016/08/25

初演30年記念 「ザ・カブキ」創作の舞台裏――世界初演に携った制作スタッフ座談会より②
振付の速さ、次々と出てくるアイディア、驚くべき仕事――。 高沢 ベジャールさんの振付はすごく速かったね。湯水のように出てくるし、変えるとなったらすぐ変えちゃう。衣裳もヌーノ・コルテ=レアルのデザイン画がありましたが、使ったり使わなかったりで、どんどん変えちゃう。 立川 稽古場で「こういうものが必要」と言われるのだけれど、それをどう使うのか、我々にはわからない(笑)。例えば、「ジャパニーズ・アルファベットを書いた幕が要る」、「振り被せて振り落とす薄い幕が要る。それには血を描け」という。が、それをどこでどんなふうにお使いになるのか、稽古場ではわからないんですよ。それでデザインを持っていくと、「こうではない」。いろはの幕の文字の書体、太さ、配置には凄く細かいダメ出しをされました。いろは四十七字は、普通七文字刻みにし、一番下を「とがなくてしす(咎なくて死す)」と読ませますが、ここでは6文字刻みに組んでいる。すると、最後に一文字分の空白ができる。ベジャールさんは、わざとこうしたんだと思うのです。最後に空白を作って、「お前たちはあそこに何を書くのか」と言いたいのではないかと。劇場に入って初めて出てきたアイディアもありました。最後の「涅槃」のところは、ダンサーたちが一旦引っ込んで着替えますが、ベジャールさんにはその間がどうしても我慢ならない。そこで、繋ぎとして塩冶の亡霊を出し、師直の首を持ってくることになった。やってみると実に音楽的にはまるし、意味的にもはまる。驚くべき仕事だったと思います。 0332.jpg photo: Kiyonori Hasegawa 高沢 そういったことがたくさんあったね。例えば幕開きの現代の場面。 立川 当初は普通の現代の若者ふうにジーパンをはいたり、バラバラの衣裳でした。 高沢 それが、舞台稽古の段階で白の衣裳に統一することに。あの場面は、舞台の"額縁"を「テレビで埋めてほしい」とも言われていました。それは実現せず、今の形になりましたけど、ベジャールさんには、秋葉原の、テレビがたくさん並んだ風景が現代の日本の粋のように感じられたのではないかな。照明は、「もっと白く、白く」と言われた。白は、ベジャールさんにはとても現代的に思える色なのかもしれない。プロローグは白、義太夫の部分は(影を作らずに全体をまんべんなく照らす)"歌舞伎明かり"、そこからどんどんドラマティックになると、あるいはバレエの明かりになり、というのが基本で、あとはほとんど任せてくださいました。ただ、「最後にソレイユを、太陽を出してくれ」とだけは言われていた。切腹の場面は太陽だと。日の丸にも見えますね。ベジャールさんは振付をものすごく大事にされるので、ちょっとでも暗いと、「もっと明るくしてくれ」。あの鋭い眼光で、すべてを見抜こうとするような目で稽古を見ていらしたのが印象的でした。 市川 本当は、「山科閑居」(歌舞伎では九段目)も入るはずだったんです。振付の途中でベジャールさんは、「やっぱりこうしたい」とやめてしまい、かわりに外伝の「南部坂雪の別れ」が入った。「山崎街道」も本当は義太夫とオーケストラでいく予定でしたが、「ここは下座音楽でいきたい」と。で、「山崎街道」のための音楽が余っちゃったから、急遽それを討ち入りの場面のヴァリエーションに使ったんです。でも、全然不自然ではないでしょう? 立川 衣裳も、装置も、音楽も、基本的にはすべてベジャールさんのアイディアと言えますね。 ※その③に続く。 高沢立生:1970年に東京バレエ団の第2次海外公演に照明スタッフとして随行した後、NBSの招聘する外国のオペラ、バレエ公演のほとんどに携わっている。 市川文武:1986年「ザ・カブキ」以降、東京バレエ団等、舞台芸術の音響も担当し、現在に至る。 立川好治:1977年「エチュード」の初演から東京バレエ団のスタッフとして参加。現在まで東京バレエ団技術監督を務める。 2013年「ザ・カブキ」公演プログラム掲載記事抜粋再録 取材・文:加藤智子(フリーライター)

レポート2016/08/25

初演30年記念 「ザ・カブキ」創作の舞台裏――世界初演に携った制作スタッフ座談会より①
今年で初演30周年を迎える「ザ・カブキ」は、モーリス・ベジャールと黛敏郎のコラボレーションによって生まれ、東京バレエ団が世界の舞台で踊り続けてきた名作です。世界初演から本作に携わってきた照明の高沢立生、音響の市川文武、技術監督の立川好治の3人による座談会(2013年公演のプログラム掲載)を3回にわたって抜粋再録いたします。 「"忠臣蔵"をやりたい、作曲は黛敏郎に」と言ったベジャール。 ──1986年4月の「ザ・カブキ」世界初演の際、高沢さん、市川さん、立川さんはともにベジャールさんの創作の現場に立ちあわれ、その後も国内外の公演でスタッフを務められてきました。今回は、スタッフの皆さんがベジャールさんとどのようにお仕事をされ、この作品を創り上げていかれたのか、お話をうかがいたく思います。 立川 私はまだ駆け出しというか、当時舞台監督を務めていた増田啓路のアシスタントをしていたのですが、当初は、日本人の心に極めて深く根ざしている忠臣蔵の世界を、西洋の人がどこまで理解できるのだろう、という雰囲気があったように思います。 高沢 ベジャールさんに振付をお願いしていると聞いたのは、初演の2、3年前だったかと。 市川 83年の秋でした。 高沢 84年が東京バレエ団の創立20周年。そこで上演する作品をベジャールさんにお願いしていたのでしたね。 市川 83年の秋に、やっとOKを出したベジャールさんが「『仮名手本忠臣蔵』をやりたい、作曲は黛敏郎に頼みたい」と言われた。ベジャールさんは三島由紀夫が好きで、三島原作の黛さんのオペラ『金閣寺』を聴いていたのです。(東京バレエ団代表・故)佐々木(忠次)さんは喜んですぐ黛さんに電話をかけてきた。ちょうどその時、僕は黛さんとスタジオで中島貞男監督の「序の舞」という映画の音楽を録音している最中でした。黛さんに聞いたら、「ベジャールのバレエの作曲をしてほしい」という電話だったという。「"忠臣蔵"をバレエにするんだってさ」と。ええっ? 歌舞伎ならほかにもあるのに、よりによって男ばっかりの「忠臣蔵」かと(笑)。それが発端でした。 ──そこから、黛さんは作曲を始められた。 市川 まずは黛さんと佐々木さんとで、パリのアパートにベジャールさんを訪ねた。そこでベジャールさんは「全体の構成は任せる。好きなように書いてくれ」と言われた。黛さんは、各段の冒頭を義太夫で導入し、オーケストラにつないでゆくという構成でプロットを創り、ピアノ譜にして、ベジャールさんと確認しました。全十一段の浄瑠璃台本を、原稿用紙一枚にも満たない程に短く抜粋し、物語をまとめた黛さんの構成力はさすがです。義太夫節は、三味線に当時若手ナンバーワンと評され、しかも越路大夫は、の三味線を勤めていた、現在、人間国宝の鶴澤清治さんと、義太夫は(五代目)豊竹呂太夫さんにお願いしました。 ──それが、85年の秋だったのですね。 市川 まずは義太夫を録音、その後オーケストラを録音しました。オケの録音にはベジャールさんも立ちあわれました。それをトラックダウンしてベジャールさんにお渡ししたのが12月の暮れ。 高沢 ベジャールさんは元日が誕生日で。 市川 誕生日会をやりましたねえ。 高沢 で、1月にリハーサルして、その後一度帰国されて、3月にまた来日された。 市川 ぜひ知っていただきたいことは、ベジャールさんは"外国人なのに日本の事を良く知っている"というレベルではない、ということです。例えば「禅」。ベジャールさんはヨーロッパに禅を広めた名僧、弟子丸泰仙師の高弟で、師とともに座禅の指導をしていたほどです。三島由紀夫もフランス語に翻訳されていた作品は全て読んでいた。その三島が「葉隠」(武士道を論じた、江戸時代中期の書物。佐賀藩士山本常朝の談話を筆録したもの)を座右の書としていたことを知り、ベジャールさんも読んでいました。「ザ・カブキ」のフィナーレが、なぜ切腹で終わったのかは「葉隠」にヒントがあると思います。赤穂浪士が仇討したのはいいが、遅すぎる。それはさておき、なぜ吉良の首をとった後すぐ泉岳寺で切腹しなかったのか。そう「葉隠」に書いてあります。当初の構成では、雑駁な現代の街からタイムスリップした青年が忠臣蔵の世界に入り、討ち入りを果たし、またに現代に戻るという構成になっていました。おそらくベジャールさんは振付をはじめてから「葉隠」を思い出し、切腹で終えることに変更した。ところが、切腹するような音楽は書いていない! ベジャールさんは黛さんのレコードをたくさん聴いて、「涅槃交響曲」が「ぴったりだ!」と気に入り、使わせてくれるよう黛さんに強引に頼んだということなんです。 ※その②に続く。 ベジャールと黛敏郎(ザ・カブキ初演1986)scan(photo_Ryu Yoshizawa) - s.jpg photo: Ryu Yoshizawa 高沢立生:1970年に東京バレエ団の第2次海外公演に照明スタッフとして随行した後、NBSの招聘する外国のオペラ、バレエ公演のほとんどに携わっている。 市川文武:1986年「ザ・カブキ」以降、東京バレエ団等、舞台芸術の音響も担当し、現在に至る。 立川好治:1977年「エチュード」の初演から東京バレエ団のスタッフとして参加。現在まで東京バレエ団技術監督を務める。 2013年「ザ・カブキ」公演プログラム掲載記事抜粋再録 取材・文:加藤智子(フリーライター)

レポート2016/05/23

上野水香、台北のインターナショナルバレエスターガラレポート

 既報の通り、プリンシパルの上野水香が、5月20日、21日に台北で行われた「第9回インターナショナルバレエスターガラ」に出演しました。

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 会場は台北市にある国立劇場。写真の通り、外観は中国風の構えをしていますが、内側は本格的な西欧式のオペラハウス。この台北随一の劇場で、マリインスキー・バレエ団のイーゴリ・コルプと「バラの精」を、そしてアロンソ版「カルメン」のソロを2日間にわたって踊り、好評を得ました。

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 上野は参加した印象を、「台北の観客の方々はとても温かくて踊っていて気持ちがよかったです。このガラへの出演は二度目ですが、6年前のときより会場が盛り上がっていたように感じます。一緒に出演したフリーデマン・フォーゲルやドロテ・ジルベールも、とても受けていました。台湾にはバレエ・カンパニーがないと聞いていますが、このような催しが定期的に開催されて、バレエを見る方々が増えているのでしょうね」と語っていました。
 

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レポート2016/04/21

「ラ・シルフィード」公開リハーサル&記者懇親会レポート

 4月19日、目黒の東京バレエ団のスタジオで、今月末に公演を控えた『ラ・シルフィード』の公開リハーサル及び記者懇親会を実施いたしました。ライターの小田島久恵さんによるレポートをお届けします。


 4月末の公演に向けて行われた東京バレエ団の『ラ・シルフィード』の通し稽古を目黒のスタジオで見学した。1幕を踊ったのは4/29のペア、渡辺理恵と宮川新大。4月にプリンシパルに昇格した渡辺は、2月のブルメイステル版『白鳥の湖』のオデット/オディールを成功させたばかりだが、シルフィード特有のクラシカルな肩のラインがとても美しく、稽古場であることを忘れさせるような瞑想的な表情を見せた。生きた女性ではない空気に漂う妖精、というシルフィードという役の設定は役作りとして大変抽象的で難しいはずだが、現実世界に薄い被膜を張って優美な幻影で恋人を魅了する渡辺の演技は、とてもチャーミングだった。ジェイムズを踊る宮川新大は、2015年8月入団のソリストで、ブルメイステル版『白鳥の湖』では、パ・ド・カトルの端正な演技が印象的だったダンサー。ジェイムズの若々しい跳躍や鮮やかなバットマン、高速のアントルシャを正確にこなし、婚約者エフィー(29日・吉川留衣)との明るいパ・ド・ドゥも表情豊かだった。ラコット版で印象的な、現世でのカップル~ジェイムズとエフィー~とシルフィードとのパ・ド・トロワは見事なバランスで、3人による絵画のような静止ポーズにロマンティック・バレエの極致の美を見る想いだった。
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 2幕では30日の主役・沖香菜子と松野乃知が登場。小悪魔的な沖のシルフィードは、快活でロマンティックな松野のジェイムズと相性がよく、魔法のベールのシーンも真に迫っていた。松野は3年ぶり2度目のジェイムズだが、目で追っているだけで多くの楽しみを与えてくれるオーラがあり、現世を捨てて妖精の世界に迷い込んだ青年の無鉄砲さを生き生きと表し、跳躍にも思い切りが感じられた。沖のシルフィードの軽やかさと蠱惑的な表情も素晴らしい。儚げで可愛らしく、知的な個性も備わっている。新鮮なシルフィードであった。
 稽古場では、芸術監督の斎藤友佳理からコール・ド・バレエへの細かい指示が飛び、「呼吸が止まらないように」というアドバイスが頻繁に伝えられた。ソリストには、「5番のポジションをつねに忘れないように」というアドバイス。モスクワ音楽劇場でピエール・ラコットのアシスタントを務め、ギレーヌ・テスマーからも直々の指導を得た斎藤は、この演目の本質を深く知り抜いており、現役時代にも完璧なシルフィードを演じていた。具体的で愛情深い指導でバレエ団の挑戦を完成へと近づけていた。

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 その後行われた記者懇親会では、斎藤芸術監督とメインの4人のダンサーが質疑応答に答えた。キャスト一人一人に励ましの言葉を向け「ロマンティック・バレエの原点であるこの作品で本当に大切なことは、『香り』を伝えること」と語る斎藤。
「同じ基本のポーズではじまって、息果てるシーンも同じポーズで終わるバレエです。その間にずっとジェイズへの想いがある...それを軸に表現を深めていきたいです」(渡辺)「毎日が勉強の連続です。物語を通して一人の主人公を作り上げる『幕もの』の魅力にとりつかれ、毎日友佳理さんと相談しながら経験を積んでいます」(宮川)「この3年間に色々な作品を、色々な先生からの指導を受けて踊ることが出来ました。それを今回のシルフィードで生かしていきたいです」(沖)「今の僕が出来るジェイムズとして舞台を生きていけたらいいと思います。3年前の自分をビデオで見ると、今のほうが成長しているかもと思う反面、今にはない若さも感じます」(松野)
 完成間近の東京バレエ団の『ラ・シルフィード』は4月29日と30日に公演が行われる。
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(撮影:引地信彦)

ロングインタビュー2016/04/06

【ダンサー・ロングインタビュー】 第7回-宮川新大

12歳から海外を中心に活動し、2015年8月から東京バレエ団に加わった宮川新大。4月29日にラコット版『ラ・シルフィード』主演を控える注目の新人に話を聞いた。   16-04.06_01.jpg*バレエをはじめたきっかけを教えてください。  ピアノやお習字と同じように、習い事のひとつでした。中学へ上がるとき、入賞しなかったらこれで最後にしようと思ってユース・アメリカ・グランプリの日本予選に出場したんです。そうしたら、まさかの1位。奨学金をもらえるなんて思っていなかったので驚きました。 *フル・スカラシップでジョン・クランコ・スクールへ留学されたのですね。  行って2日くらいで40度近い熱を出して、始まりはばたばたでした。もちろん英語もドイツ語もしゃべれないし。留学でいちばん印象に残っているのは、16歳から卒業までの2年間教わったピョートル・ペーストフ先生のクラスです。自分のクラスに出られなかった時、たまたまそのクラスを見て「なんだこれ!」って。みんな兵隊のようにびしっと揃った動きをしてる。マラーホフやツィスカリーゼを教えた名教師ですが、当時はペーストフ先生に習いたくてクランコ・スクールに来ている男子がたくさんいたんです。12歳のぼくにはすごい衝撃でした。 *ペーストフのクラスで学んだものは?  音の取り方とか、着地。猫のように音をさせない跳び方。軽いけれども強い足先、脚さばき。ぼくにとっては受けるだけでうまくなる魔法のクラスでした。マラーホフもエヴァン・マッキーも、教え子たちはきっと口を揃えて同じことを言うと思いますよ。競争も激しくて、同じクラスでペーストフのクラスに行けたのはぼくとダニエル・カマルゴの2人だけ。厳しく教えられて泣きそうになったけど、幸運だったと思います。 *カマルゴはシュツットガルト・バレエ団公演で大活躍していました。 16-04.06_02.jpg ダニエルはぼくにとって生涯の大親友。2人の"やんちゃ"を話し出したら明日になっちゃう(笑)。何かあっても相談できるし、ダニエルもぼくに話してくれるし。もちろん負けたくないっていうのもあります。いつか一緒に舞台に立ちたいです。 *卒業後、モスクワ音楽劇場バレエに入団されますね。  ぼくは飛び級で卒業したので、ジョン・クランコ・スクールを終えた時、みんなよりひとつ若い17歳だったんです。17だとドイツの法律で仕事に就けない。オーディションを受けようかと思ったんですが、アジア系は西洋人にはなかなか勝てない。それならコンクールで自分のいいところを見てもらおうと、もう一度ユース・アメリカ・グランプリに挑戦しました。モスクワ音楽劇場の芸術監督だったセルゲイ・フィーリンがぼくに満点を付けてくれて、迷わずロシアへ。ロシア語がまだペラペラというわけではなかったし、劇場のシステムもドイツとは違い、なじむまでは時間がかかったけど、ドイツとも日本とも違う、バレエとの深い繋がりを感じました。ダンチェンコはとてもきれいな劇場で、『ドン・キホーテ』『バヤデルカ』『白鳥の湖』など、いろいろな演目を観るのも感動でした。 *2013年にイーサン・スティーフェル率いるロイヤル・ニュージーランド・バレエに入団。  イーサンは小さい頃からぼくがこうなりたいと思う理想のダンサーの1人だったんです。まるでファンが写真やサインをもらいにいくみたいな気持ちでオーディションを受けました。幸いイーサンも気に入ってくれ、その場で契約をくれて。バレエ団の中では芸術監督とダンサーですが、一歩外に出たら親友みたいな存在。ツアーでアメリカに行った時、ニューヨークのお宅に一週間くらい泊めてもらったこともあります。よく一緒に飲みに行きましたし、奥さんのジリアン・マーフィー(ABT)にもよくしていただきました。 *宮川さんの性格が人を惹き付けるんですね。  飲みに来いっていわれたらどこでも行きますよ(笑)。ABTで「ミスター・バランシン」と呼ばれていたイーサンからバランシン作品をいろいろ教えてもらえて嬉しかったです。ニュージーランドはぼくが今まで行った中でもダントツに住みやすい国なんですが、バレエに関しては後進国。たくさんの舞台に出していただき、いい経験になったけど、イーサンが辞めたのを機に退団しました。 *そしていよいよ東京バレエ団へ。  斎藤友佳理さんがラコット版『ラ・シルフィード』の指導でダンチェンコに来られたとき、ぐうぜんお会いしたのが始まりです。その時ぼくは第一幕のパ・ド・ドゥの第一キャストに選ばれたのですが、ビザの問題で踊れないまま帰国してしまいました。ロイヤル・ニュージーランド・バレエを辞めて帰国し、将来について考えていた時、何度か見学させていただき、(佐野)志織さんや友佳理さんともお話をして入団を決めました。バレエ団の規模や歴史も大事だけれど、ぼくにとっては"人"が大切。友佳理さんがぼくを育てようとしてくれていることはすぐわかったし、この人なら信じられる、ついていきたいと思って。日本で働くのは初めてなのですが、みんなとてもあったかいし、優しくしてくれる。東京に住むことのほうがまだ慣れないかもしれないですね。ニュージーランドに比べると、まず人が多い!(笑) 今、海外ツアーの作品を4つくらい同時進行でやっていて、もう頭がパンクしそうです。 *去年の12月、オーストラリア・コンセルバトワールで踊った『コッペリア』が初めての全幕主演でした。 16-04.06_03.jpg 日本人のゲストとして海外で主役を踊れたのは嬉しかったです。推薦してくれたメイナ・ギールグッド先生や、コンセルバトワールの人たちも喜んでくれました。第2幕のフランツはほとんど寝てるので、スワニルダ役の河谷まりあさんのほうが百倍大変だったと思いますけど(笑)。マイムはまだ経験が少ないので、まりあさんと毎日相談しながらやりました。現地に行ってからメイナ先生に振付の指導を受け、もとからあった作品を踊るというより、一から作品を作り上げたような感じがありました。踊りだけじゃなくマイムや間の大切さも学びましたね。 *渡辺理恵さんとの『ラ・シルフィード』は2回目の全幕主役ですね。  『コッペリア』とは比べ物にならないほど大変だと思いますけど、今はまだ海外ツアーのほうの振りを覚えるので精一杯で。これから『ラ・シルフィード』も本格的にはじめる予定です。 *これから踊りたい作品や振付家は?  自分はやはりクラシック・ダンサーだと思うので、そこは伸ばしていきたい。『ラ・シルフィード』のジェームスは前からやりたかった役ですし、『ジゼル』のアルブレヒトも踊りたいですね。ワシーリエフ版『ドン・キホーテ』もすごく楽しそうだし。『ラ・バヤデール』など、与えられるならいくらでも挑戦したいです。他にも『オネーギン』のレンスキー、『エチュード』、バランシン作品もやってみたい。シルヴィ・ギエムの公演で踊ったフォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』もとても勉強になりました。自分でそう思わなくても自分に合う作品があると思うので、これからは作品に気付かされたり、育てられたりしていきたいです。  *バレエ以外で興味のあることは?  ギターが大好きで、楽器屋さんへ行くと2時間くらい出てこない。ニュージーランドにいた時は、バーのセッションに飛び入り参加したり、曲を作ったりしてました。70年代のブリティッシュ・ロックが好きで、エリック・クラプトンや吉田拓郎も聞きますよ。チャーの大ファンで、トークライブに行ったらまわりのお客さんがみんな年上で。  映画も見るし、友だちとご飯に行ったり、公園でぶらぶらしたり、あまりこもらず外に出ます。日本ではまだ余裕がないけど、落ち着いたらいろいろ観に行きたい。美術館へもよく行きます。ドイツでは教会のステンドグラスを見て回ったこともあります。 *日、英、独、露の4カ国語が話せるのは強みですね。  12歳から合計10年、ほとんど海外で過ごしましたから。小さい頃から海外へ出たのが、ぼくにとってはよかったのかもしれません。日本はきっちりしていて、いろいろ海外とは違うところもあり、悩むこともありますが、下手に自分を作るより自然な自分でいられたらいいなと思っています。  インタビューした1時間、明るい笑顔と言葉があふれるようだった。踊りへの情熱やオープンな人柄が幸運を呼び寄せるのだろう。24歳にしてピョートル・ペーストフ、セルゲイ・フィーリン、イーサン・スティーフェルら、バレエの第一人者たちとしっかり縁を結んだ若者は、これから始まる東京バレエ団での仕事にワクワクしているようだ。記憶に新しいのは、ブルメイステル版『白鳥の湖』で踊ったパ・ド・カトル。正確な基本姿勢から繰り出されるポーズや跳躍の伸びやかさ、内からはじけるような力強さが、くっきりと気持ちのいい印象を残した。日本での全幕初主演となる『ラ・シルフィード』はもちろん、現代作品やドラマティックな役での活躍にも期待したい。

ロングインタビュー2016/01/22

【ダンサー・ロングインタビュー】 第6回-秋元康臣

取材/文:新藤弘子(舞踊評論家) ロシアのチェリャビンスク・バレエなどを経て、2015年8月に入団した秋元康臣。以来、恵まれたプロポーションと正確なテクニックが生み出すのびのびした表現で、踊るごとにバレエ・ファンの心をつかんでいる。12月に行われたシルヴィ・ギエム・ファイナル東京公演のリハーサル後、慌ただしいスケジュールを縫って話を聞くことができた。 *バレエとはいつ、どのようにして出会いましたか? 16-01.15_01.jpg 3歳になるちょっと前です。もともと神奈川のほうに住んでいて、鎌倉を散歩していたとき、たまたま母親がバレエ教室の看板を見つけたんです。母はバレエの経験はないのですが、舞台やオペラを鑑賞するのが好きで、それで習わせてみようと思ったらしいです。 *ご兄弟は?  3人きょうだいのいちばん上です。弟と妹も一時期バレエを習っていましたが、続かなかったですね(笑)。 *バレエを習うことに抵抗はありませんでしたか?  最初のうちは、行きたくないとだだをこねた時もあったかも。バレエ教室には他に男の子もいませんでしたし。でも行ってしまえば楽しかったし、自然と生活の一部になっていました。小学校では他のスポーツも楽しかったけど、だからといってバレエがいやになったことはないですね。 *その後、ロシア・バレエ・インスティテュートを経てボリショイ・バレエ学校へ留学なさいました。  薄井(憲二)先生と、ロシアからいらしていた先生の勧めで留学を決めました。12歳から卒業まで6年間学び、冬休みや春休みはありましたけど、基本的にはロシアで過ごしましたね。もちろんロシア語は話せなかったけど、留学する前に先生と1対1で辞書を引きながら教えていただき、正確な意味や発音はわからなくても片言程度に話せるように、とりあえずアルファベットというか文字を発音できるようにだけはしておいたんです。留学での経験が、いま役に立っていますね。 *NBAバレエ団、Kバレエカンパニー、チェリャビンスク・バレエなど、いろいろなバレエ団で活躍されました。思い切りよく決断するほうですか?  常に自分の中で悩んだり考えたりしていて、スパッと切り替わるというふうには思わないです。自分で一つのテーマを作って、そこまでいったら終わり、というふうにはしたくないんです。ボリショイ・バレエ学校に関していえば、毎日いい意味で何も考えずに、ひたすらバレエと向き合っていられる環境だったので、卒業するまでの6年間がすごく長くて濃厚で。とても充実していただけに、いざ卒業と言われた時、正直なにかこう、ひとつ終わってしまったような感覚になりました。 *憧れや目標になるようなダンサーはいますか?  なかなか1人には絞れません。もちろんいろんなダンサーを観て素晴らしいなと思いますし、それが正直な気持ちではありますが、例を挙げてしまうと、きりがなくなってしまうので。(笑) *色々な経験をされた秋元さんが、東京バレエ団を選ばれた理由は何だったのでしょうか。  やはりレパートリーですね。作品の種類や幅というか、古典に限らず、これだけ幅広いレパートリーを持つというのは、どの劇場(バレエ団)でもできるということじゃないですから。  入団した時の印象は、スタジオが大きい!(笑) 最初見たとき、とにかく広いなあと。床の環境もとても良くて、いい環境だなあと思いました。ロシアでの経験でよかったのは、舞台数をこなして構えずに舞台に立てるようになったこと。余裕が出てくると、演技の細かい部分なども次はこうしてみようとか、いろいろチャレンジすることができたと思います。東京バレエ団では公演の間隔がかなり違うので、身体の作り方などは変わってくるんだろうなと思います。 *2015年8月の入団後、印象的な作品や役にはもう出会いましたか? 16-01.15_03.jpg 『ドン・キホーテ』のエスパーダは、今後もずっと覚えていると思います。これまで主役のバジルは踊っていたけど、エスパーダは踊ったことがなかったんです。体力以前の問題で、バジルとはまったく性格が違う役なので、重々しさが出せるのかとか、不安もありました。(斎藤)友佳理さんにが本番前までずっと見てくださっていて、いただいた注意を全部こなせるだろうかという不安もありましたけど、直前になったら「あとはもう思い切ってやりなさい」と言ってくださって。ほんとうにもう、思い切ってできました。友佳理さんの指導は厳しくて、細かい!(笑) でもそれがあるからこそ、リハーサルで指導されたことが自然に身体の中に入っていって、本番で思い切りできるんです。もちろんまだまだですけれど。 *東京バレエ団のレパートリーで、これから踊ってみたいものは?  まずは2月の『白鳥の湖』のジークフリート王子。このブルメイステル版は、以前から「かっこいいなあ」と思って観ていたものなので、その主役を踊れるのはほんとうに楽しみです。あとは『ラ・バヤデール』のソロルも踊ってみたいです。 *ギエムの引退公演ではフォーサイス振付『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』も踊られていますね。  フォーサイス作品を踊るのは初めて。昨日の公演で3回目でしたが、舞台の数を追うごとに、だんだん身体の使い方、動き方、自分がどれだけ動けるか、難しさの中で少しずつ掴んできている感じでしょうか。まだまだやるべきこと、目指すところは限りなくあるんですけど...。 *ベジャール作品などは?  今までやったことのないものだし、もちろん興味はあります。 *将来こういうふうになりたい、という理想像のようなものはありますか?  正直、特に描いていません。その時を楽しもうと思うので、何年後にこうなりたい、それには今こうしなければ、というような計算はしてないです。こちらからやりたいと言うことはないけれど、来た役はしっかりやる。そのとき出会った作品や舞台をいかに楽しめるかを考えます。レパートリーの多い東京バレエ団は、そういう意味でも楽しみです。 *バレエ以外ではどんなものに興味がありますか?  本では伊坂幸太郎の独特な世界が好きですね。一つの物語を、いろいろな人の目線から描いている。映画もけっこうジャンル問わず見ています。いちばん最近は「007」。邦画だと「グラスホッパー」。これも伊坂さんの本で読んで、映画化されたら観に行こうと思っていたので。 *ミステリアスな雰囲気もお持ちです。バレエ以外の時は何をしていますか。  至って普通です(笑)。バラエティ番組もお笑いも観るし、その時したいことをしてる。ツイッターやFacebookはやっていません。それよりは踊りを観てほしい。 *ギエムさんとの共演で感じるものはありましたか?  感じるというか、いつもダメ出しをされていて。この前も終演後の移動中に、その日の本番の映像を見ながら注意してくれました。 *見どころがあるからこそ注意したくなるのでしょうね。ブルメイステル版『白鳥の湖』を観に来てくれるファンの方たちにメッセージをお願いします。  作品や物語の、全体の魅力をぜひ観てほしいです。特にぼくだけ観てくださいとは言いません(笑)。    華やかな舞台での姿に比べ、素顔は穏やかでクールに見える。けれども話を聞くほどに、バレエに対する迷いのなさや、芯のしっかりした性格が浮き彫りになってくる。優美さと力強さが同居する秋元の踊りの原点は、やはりロシアでの体験にありそうだ。ボリショイ・バレエ学校の恩師イーゴリ・ニコライヴィッチ・ウクススニコフについて、「どなられるし拳骨は飛ぶし、でもすごく男らしくて心の広い先生。踊る楽しさを教えてもらえた」と語る秋元。東京バレエ団という絶好の活躍の場を得た彼が、揺るぎないダンス・クラシックの基礎を活かしてどんな舞台を見せてくれるか。これからの活躍が楽しみだ。

レポート2016/01/20

「白鳥の湖」公開リハーサル&懇親会レポート

 ブルメイステル版『白鳥の湖』バレエ団初演を半月後に控えた1月15日、東京バレエ団は同作の公開リハーサルを実施、斎藤友佳理芸術監督の陣頭指揮で、第2幕、第3幕のリハーサルが披露されました。  第2幕、白鳥たちのコール・ド・バレエの中心にいたのは、2月6日に主役を踊る渡辺理恵、秋元康臣のペア。斎藤、バレエ・ミストレス佐野志織らの傍らには、新年から指導に参加している元ボリショイ・バレエ・プリンシパルのニコライ・フョードロフ氏の姿も。3日目に主役を踊る川島麻実子、岸本秀雄組も、彼のアドバイスにじっと耳を傾けます。  続く第3幕、各国の踊りのダンサーたちが次々と登場しますが、ブルメイステル版では、彼らはすべてロットバルトの手下という設定。皆、王子がオディールに愛を誓うよう猛烈なアピールを繰り広げます。身を乗り出して指示を出すのは、昨年8月に続いて再来日したキャラクターダンスの指導者、マルガリータ・ルアノ氏。場の熱気が徐々に高まると、初日に主役を務める上野水香・柄本弾によるグラン・パ・ド・ドゥが始まり、やがてコール・ド・バレエも一体となってクライマックスへ──。  リハーサル終了後の記者懇親会で斎藤は、バレエ団の原点ともいえる『白鳥の湖』を上演するにあたり、新たにブルメイステル版を選んだ理由として、ロシアで最初に観て心を動かされたことと、この第3幕のグラン・パ・ド・ドゥを挙げます。「コーダでは何十人ものコール・ド・バレエが必要。皆で力を合わせ、東京バレエ団のいちばんの強みが出せる作品なのです」。ブルメイステルの演出意図に沿うよう、同作品を初演したモスクワ音楽劇場の衣裳を借り、さらには東京バレエ団のスタッフで力を合わせ、新たに舞台装置を制作したことにも触れました。  第3幕について尋ねられたルアノ氏は、「ドラマティックな要素が非常に強い。各国の踊りのダンサーたちは皆、悪の力をもってジークフリート王子の意識を虜にするという目的のために登場します」。オデット/オディール役のダンサーたちも「ブルメイステル版はより大きな力でドラマを伝えることのできる作品」(上野)、「これまで疑問に思っていたことが、一つひとつ解けていくよう」(渡辺)、「お客さまにとってもわかりやすい作品と思います」(川島)と、その魅力を紹介しました。王子役の指導について尋ねられたフョードロフ氏は「3人には自分らしい王子を演じてほしい。私のコピーではなく、他の人の真似もしてほしくないのです」と彼らを激励しました。  本番までの残された時間、「何をすべきか明確に見えてきた」と話していた斎藤。スタッフ、ダンサーが一丸となって創り上げる舞台に、どうぞご期待ください。 写真④.jpg

レポート2016/01/19

「白鳥の湖」振付指導者  アルカージー・ニコラエフ インタビュー

 東京バレエ団は2016年2月、ウラジーミル・ブルメイステル版『白鳥の湖』バレエ団初演にのぞむ。その準備が進むなか、10月中旬、モスクワから指導者のアルカージー・ニコラエフ氏を迎え、9日間にわたる濃密なリハーサルが展開された。モスクワ音楽劇場でソリストとして活躍、ブルメイステルのもとでこの作品を踊っていたというニコラエフ氏に、リハーサルの様子やこの版の魅力を聞いた。  まず、稽古場での東京バレエ団の印象を尋ねると、「技術面に長けたダンサーもいれば、表現力に優れたダンサーもいる。個性は皆それぞれですが、演技というものはとても難しいものですね」。きれいな日本語で、「難しいね」、と繰り返す。 ★IMG_7609.jpg 「ブルメイステルはパリ・オペラ座に初めて招聘されたロシアの振付家ですが、彼の『白鳥の湖』は本当に素晴らしい。何よりもまず、知識がある人もそうでない人も、前もってあらすじを読まずに舞台を観て、物語を理解できる。すべてが演技によって支えられている作品なのです」  最も特徴的なのは第3幕だという。 「スペイン、ハンガリーなどの各国の踊りは、単なるディヴェルティスマンではなく、すべて悪魔ロットバルトとその手下たちが創り出す世界。彼らはジークフリート王子がオデットを裏切るように導けと、ロットバルトに命令されているのです。どうもその企てがうまくいかないということになると、オディール自身も呼んできて、ジークフリートを惑わす。彼はもうわけがわからなくなり、大事に持っていたオデットの羽根をオディールに手渡す。その瞬間、オデットを裏切ってしまったことが明らかになるのです」  自身もジークフリート王子をはじめ、ロットバルト、パ・ド・カトルと様々な役柄を踊ってきた。 「でも、私にとって最も価値があるのは、1953年の初演の時に小姓役で出演したことなんですよ! 私は11歳でした。初めての舞台でしたから、すごく緊張していましたね(笑)。もう62年も経ちました」  ドラマティックな出来事を巧みに演出することに長けていたというブルメイステルから、多くを学んだとも。 「彼はこう言いました。『そんなにたくさん回るピルエットなんて見たくない! ジークフリートがオディールに対して踊っているヴァリエーションなのだから、回転数は二の次だ!』と。彼にとって最も重要なのは、その踊りは何について語っているのか、ということなのです」 ★IMG_7612.jpg  稽古場では、子どもの頃からこの作品に親しんできたという斎藤友佳理から、「昔のモスクワ音楽劇場は、こんなふうにやっていたのでは?」と意見を求められる場面も。 「舞台というものは時間とともに変化してしまうところがあります。ダンサーがそれぞれに即興でやったことが、そのまま定着してしまうことも。友佳理が私に望んでいるのは『最初はどのように演じられていたのか、見せてほしい』ということでした。時間は限られていますが、その中で、できるだけ多くのことを伝えたかったのです」  ニコラエフ氏からたくさんのものを受け取ったダンサーたち。2月の初演に向けて、ひたすらに稽古を積み重ねていく。 取材・文:加藤智子

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