Repertory

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その他

「牧神の午後」
振付:ワツラフ・ニジンスキー
音楽:クロード・ドビュッシー
装置・衣裳:レオン・バクスト

 夢幻的なドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』が流れるなか、幕が上がると岩棚に牧神が寝そべっている。ものうくけだるい夏の午後だ。やがてニンフたちが水浴びに訪れる。だが彼女たちは近づいてくる牧神に驚き、逃げていってしまう――。

 ドビュッシーはフランスの詩人ステファヌ・マラルメの長詩『牧神の午後』にあててこの曲を作った。マラルメは詩の舞台化を望んでいたが果たせず、彼の夢はニジンスキーの処女作に溶け込んで舞踊史上に永遠にとどまることになった。跳躍や回転など立体的に空間を把握する技巧を廃し、登場人物たちは角ばった横向きの動きしか見せない。こうした基本姿勢を、ニジンスキーは古代ギリシャ陶器の図柄から思いついたらしい。徹底的に二元した舞台は従来のバレエへの挑戦であり、神話の姿を借りながら、人間の内奥にうずく欲望を直裁に描いたものであった。リーンカーン・カースティンは、「彼は単に別のアクセントを用いて語ったわけではない。そこからいくつもの新しい言語が生まれる可能性を秘めた、新たなアルファベットを創造したのだ」(『Nijinsky Dancing』)と書いている。ニジンスキーは跳ぶのを拒否することによって、異次元の舞踊空間へ飛んだ。

 ニジンスキー自身の主演で『牧神』は1912年5月にパリで初演された。観客はとまどいを隠せず、ディアギレフはもう一度繰り返しての上演を命じた。未知の動きに加え、牧神がニンフの残したスカーフで自らを慰めるというラストに賛否両論の嵐が吹き荒れた。ディアギレフと反目しあうようになっていたフォーキンは、この作品をきっかけにバレエ・リュスを去る。完全なニジンスキー時代の到来となったわけだが、その翌年に彼自身がバレエ団を解雇されることになるとは、誰も予想していなかったに違いない。