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2016/05/09

ミラノ・スカラ座 佐々木忠次氏を偲ぶ

  
佐々木忠次の訃報に伴い、ミラノ・スカラ座より追悼の辞が届きましたので、ご紹介いたします。



スカラ座日本公演の歴史的プロモーター逝去
 ミラノ・スカラ座は日本舞台芸術振興会の創設者であり、スカラ座の今日までのすべての日本公演を主催するパートナーであった佐々木忠次氏の訃報を受け、深い悲しみに沈んだ。1981年から、2016年9月に予定されている次回の日本公演まで、ミラノ・スカラ座の世界的な活動の中でも日本における公演は多大で、日本の観客からも大きな支持を得ている:今日まで日本におけるオペラ公演は87回(コンサート形式の「アイーダ」二公演を含む)、バレエ公演は22回、コンサートは21回を数える。

 佐々木氏はアントニオ・ギリンゲッリに始まり、パオロ・グラッシ、カルロ=マリア・バディーニ、カルロ・フォンターナ、ステファン・リスナーの歴代の総裁と接し、長い年月ジェネラル・ディレクターのマリア・ディ・フレーダと調和を育んできた。日本公演は滞在期間も長いが、上演作品を制作する劇場全体が一体となってスカラ座の特性を発揮する機会となるよう入念な準備を持って迎えてくれた。佐々木忠次氏はスカラ座を招聘するプロモーターである以上に、彼自身が好んだようにスカラ座の真の友人であった。

 スカラ座を日本に招聘しようという考えは佐々木氏の若い頃に芽生えた。彼はスカラ座特有の演奏とイタリア・オペラ上演の質の高さに心を打たれたのだと語っている。初回の日本公演実現までに長い年月をかけた交渉は16年にも及んだが、スカラ座初来日は今でも語り草になっている。クラウディオ・アバド指揮による「シモン・ボッカネグラ」「セヴィリアの理髪師」、カルロス・クライバー指揮による「オテロ」「ラ・ボエーム」の4本のオペラが上演された。その後もスカラ座は佐々木氏が設立した日本舞台芸術振興会の主催により7回の日本公演を行っている:1988年にはカルロス・クライバー、ローリン・マゼール、リッカルド・ムーティ、1995年にはリッカルド・ムーティとジュゼッペ・シノポリ(この日本公演ではバレエ団も参加し「眠れる森の美女」を上演し、カルロ・マリア・バディーニとマリア・ディ・フレーダはスカラ座のオペラ、バレエ、コンサートのすべての部門を海外に紹介する完全なる引っ越し公演を実現した。日本での公演回数は実に21回を数えた)、2000年と2003年(2003年は佐々木氏の70歳の誕生祝として来日した)にはリッカルド・ムーティ、2007年はバレエ団による「ドン・キホーテ」、2009年にはダニエル・バレンボイムとダニエレ・ガッティ(この年の9月4日の「アイーダ」公演は日本における100回目の公演を祝って、佐々木氏と舞台上で乾杯した)、2013年にはダニエル・ハーディングとグスタボ・ドゥダメルと共に来日した。2016年9月にはバレエ団が日本公演を行う予定である。

 日本舞台芸術振興会との協力関係は世界的にも重要なカンパニーである東京バレエ団のスカラ座公演をも可能にした。1986年にモーリス・ベジャール振付の「ザ・カブキ」でスカラ座初登場した東京バレエ団はその後も1989年、1993年、1996年、1999年、2004年、2010年とスカラ座公演を行った。この2010年のスカラ座公演は東京バレエ団の海外公演700回目を記念した特別な公演で、素晴らしい「ザ・カブキ」が上演された。

 佐々木忠次氏はミラノ・スカラ座ばかりでなくヨーロッパの伝統的な音楽芸術文化を極東の日本に紹介した先駆者であった。東京を第二の故郷と親しむスカラ座のすべての団員、スタッフは佐々木忠次氏のご逝去に心からの冥福をお祈りすると共に、日本舞台芸術振興会が今後とも佐々木氏が持っていたと同じ情熱と限りないエネルギーで発展と活躍を続けるよう願っている。
 
ミラノ・スカラ座

※原文(イタリア語)はNBS English に掲載してあります。>>