バレエ・リュスの船出は順風満帆だったわけではない。『ペトルーシュカ』にしても一行がパリに向かう途上のローマで、公演数週間前にようやく完成をみた。振付はミハイル・フォーキン、音楽はイーゴリ・ストラヴィンスキー。『火の鳥』『春の祭典』と並んで彼の三大バレエ音楽とされる。初演は1911年6月、パリのシャトレ座だった。
この作品は、ロシアの縁日で上演される人形劇ペトルーシュカを主題にした音楽から生まれた。舞台装置を作成したアレクサンドル・ブノワが中心となって台本を書き、振付は最後だった。「振付が先で音楽は後」という伝統は崩れたのだ。長い産みの苦しみをへて完成したのは、ロシアの人形劇の筋とはまったく異なる、「魂をもった」人形ペトルーシュカの悲劇を描いた一幕四場のバレエである。
謝肉祭で賑わう広場の見世物小屋から、親方の笛にあわせて三体の人形――道化のペトルーシュカ、バレリーナ、強くて大きいムーア人がぎくしゃくした身振りで登場する。愛と嫉妬の諍いが生じるが、所詮ペトルーシュカはムーア人にかなわない。魂をもつがゆえに傷つき、囚われの苦しみに絶望し、ついには殺されてしまう道化人形の哀しみを踊ったニジンスキーは、まさに変身したと評された。この日人々は、人形に仮託された人間の葛藤や孤独、そして悲劇をなかったこととしてすます群集の有様など、心理と現実を描いたバレエを見たのである。
最後、誰もいない広場で壊れた人形を片付けようとしている親方の前に、ペトルーシュカの亡霊が姿を現す。それは人間の情念が凝縮した瞬間であると同時に、ニジンスキーにとっては自分自身の苦悩に対する声なき叫びでもあったろう。