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レポート

ジル・ロマン直接指導!『春の祭典』公開リハーサルレポート

東京バレエ団スタジオにジル・ロマンをむかえ、今月末開催の〈レジェンズ・ガラ〉で上演する『春の祭典』のリハーサルが進む中、1月26日には公開リハーサルを実施いたしました。その様子をレポートします。


1/26の公開リハーサルのキャストは、生贄が長谷川琴音と南江祐(※)生、2人のリーダーが鳥海創、陶山湘、2人の若い男が井福俊太郎、山下湧吾。ベジャール版は男性群舞のパートが特に過酷だが、改めて見事なつくりになっていることに驚かされた。振付家の回想録によると、大勢のダンサー(約40人)を「自由に使う」ことの出来る初めての創作であったこと、当時(1959年)の多くのバレエ団では男女の数の均衡がとれておらず、男女同数のダンサーを持つことが重要である意図などが綴られている。この作品をブリュッセルで初演した翌年にベジャールは20世紀バレエ団を創設している。


ストラヴィンスキーの音楽は和声もリズムも複雑だが、東京バレエ団のダンサーは音楽に関して「難儀である」とは全く感じていないように見える。ベジャール作品を高度な水準で理解しているということもあるのだろう。このバレエの肝は、数学的に正しくリズムのカウントをとることではなく、振付と音楽の獰猛な生命力を表現することである。男性ダンサーは力強く、一方で古代の祭りのタペストリーのように「図案化された」群舞にもなる。最初に目に入るのは、2人のリーダーと2人の若い男で、男たちの中でも優勢なDNAをもつ「強い」存在として全体を取り仕切る。リーダーの鳥海創の表情が素晴らしく、『ロミオとジュリエット』のティボルトのような狂気を秘めていて、この役に相応しいオーラを放っていた。

指導にあたるジル・ロマン(左)、南江 祐生(中央)、鳥海 創(右) photo: Shoko Matsuhashi


「生贄」の登場は何度見ても衝撃的である。強さを誇示する男たちの中で、最も脆弱な、ヴァルネラヴィリティを背負った存在として舞台に投げ出される。ジル・ロマンは生贄役の南江祐生に多くの助言を与え、覆いかぶさるような姿勢で「M」の字を作る姿勢では、「ベジャール直伝」のやり方として、ダンサーの首の後ろに長い棒を挟んで型を作り「熊のように」と指導していた。地面に鼻を何度も擦り付ける場面も詳しいアドバイスが入る。生贄の動きはすべて過酷で、不自然な姿勢で起き上がったり、捻じ曲げられたポーズとポーズがつなぎ合わされたりと、筋肉の負担も相当なのではないか。胎児のようにうずくまるポーズも、稽古場で間近に見ると胸が搔きむしられる心地がする。作品を知り尽くしたジル・ロマンは厳しすぎるということがなく、生贄の南江に対して「よく出来た」と優しくねぎらっていたのが流石だった。男性群舞が対角線上に並び、蛙のように(!)一人ずつ下手奥に跳んでいくシーンは見どころのひとつだが、「スピードが緩まないように」とジルの一声。テープの音量を上げるように指示があり、稽古場の熱気も上昇した。

photo: Shoko Matsuhashi


 女性ダンサーが地下茎のように舞台を埋め尽くす後半部分は、音楽の不思議さもあって別の宇宙に来たような気分になる。男性たちが動物的な存在なのに対して、女性たちは植物的なのだ。微細なメッセージをテレパシーで送りあって、外界の危機から自分たちを守っている。長谷川琴音は南江とともに2024年のイタリアツアーで生贄を演じているが、かつてギエムが演じた「強い生贄」のイメージとは異なり、繊細で女性らしいタイプ。作品に新鮮さを与え、女性群舞全体も違ったふうに見えた。弱い集団が強いリーダーに導かれているのではなく、全員が悲劇的でメランコリックな存在で、生き物としての受動性をあらわしている。女性の生贄が手で片方の視界をふさぐアイコニックなポーズには「車のライトを眩しがるように」とジル・ロマン。光が届かない夜の世界で咲く青ざめた花たちのような女性群舞の神秘的な美しさは、火の気に満たされた男性群舞とは確かに正反対だ。

長谷川 琴音 photos: Shoko Matsuhashi


 異物としての男性群舞と、静謐の帝国の掟を守ろうとする女性群舞が「ある直観」によって交じり合っていく様子はショッキングであり、この場面を語ろうとすると「しかしなぜ《祭典》の振付を、言葉で喚起しようとするのか? これは不可能なことなのだ。私が詩人なら。おそらくストラヴィンスキーの音楽を聴きながら、その音楽から受ける感動で詩句を書きたいと思うだろう」(前田充訳『モーリス・ベジャール自伝』)というベジャールの言葉にたしなめられる。凄い。どんなにAIが発達しても、超越的なスーパー・インテリジェンスが登場しても、『春の祭典』の真実は超えられない。ベジャールの哲学は時空を超えて「人間的」で、67年前に創られたバレエは古くなるどころか、むしろ未来からやってきたメッセージのように感じられる。


 ベジャールは20世紀の音楽芸術に、同時代を生きる人間として関わり、ストラヴィンスキーがバレエのために書いた楽曲には、作曲家の才能の「証人」として凄いバレエを書いた。特に『春の祭典』は、本人が「疲労困憊のバレエである」と語る滝行で、「私は鉄と鉄床の間で私を消し去ろうとする、非常に強烈な音楽を聴いてへとへとに疲れてしまった」と、ぎりぎりの精神であったことを書き残している。「ギメ美術館で見たヒンズーの蛇玉、マヤの神々のテラコッタ製の睾丸、シラクド諸島の女人偶像、博物学の本で見た禿タカ、私自身の恋愛経験から想像した愛によって打ちひしがれた肉体」を、21世紀の日本のダンサーが神々しく表現している…稽古場にはジルがいて、ベジャール・バレエの神髄を伝授していたが、もうこの世にいないベジャールの、ダンサーたちへの感謝の念も伝わってくるようだった。

取材・文=小田島久恵(ライター)

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