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2015/06/29

第29次海外公演 「第九交響曲」 ローザンヌ公演 新聞評

 すでに熊野舞さんのレポートやTwitterなどでお伝えしておりますとおり、6/18~6/21の5日間、スイス・ローザンヌにて、東京バレエ団はモーリス・ベジャール・バレエ団と合同で、ベジャール振付「第九交響曲」を上演いたしました。  アイス・スケート場(マレー)を使った特設会場の収容人数は約5000人。開幕前から大きな話題を呼び、全公演が満席となり、5日間で25000人の観客が来場。いずれの公演も終演とともに手拍子、足拍子が会場中に鳴り響き、総スタンディングオベーションとなる、大きな盛り上がりのうちにローザンヌ公演を無事終えることができました。  そのローザンヌ公演の模様を伝えた新聞評(LETEMPS紙、24heures紙)が届きましたので、記事をご紹介いたします。 <LETEMPS紙> ローザンヌ・ベジャールバレエの歓喜に酔いしれる。 ジル・ロマンがモーリス・ベジャールのカルト作品《第九》を再演 マレーでの舞台は満員御礼で拍手喝采  まずはミシェル・ヴォイータが舞台を支配する。もちろん一人ではない。二人のパーカッショニスト、ティエリー・オッシュテッターとJBメイエールの伴奏、アフリカの太鼓やヨーロッパのシンバルとともに。役者は何を語るのだろう? それはまるでディオニソスのお告げのように、世界の調和が崩壊した後に、文明を回復する男の到来だ。それはニーチェによって「悲劇の誕生」や「ツアラトウストラかく語りき」において予言されている。それは激しいリズムのなかで打ち震える場面だ。やがて第九交響曲はアレクサンドル・メイヤーの指揮のもと、新たな幕開けを迎える。狩人たちや痩身のディアナたちの群舞----つまり東京バレエ団によって場面は急変する。音楽に染み込むような彼らの踊りには、想像していた通りの内気さ、感情の噴出や率直さが感じられる。注目すべきは、葦のように高く上げられた脚の動き、運命に逆らうような威圧的な拳、首を反らせ少年の肩に乗った少女、不自然なまでに恍惚となって広げられた脚。やがてローザンヌ・オペラ座の合唱とともに歓喜が訪れる。  第九のイメージに取り憑かれたオスカー・シャコンは最後の大絵巻において、一座のパレードの前で激情的な子供のように虚勢を張る。すると舞台全体が大聖堂へと変わる。そして一団が観客のほうへと前進した瞬間、人類はひとつに結びつく。それは歌によって生み落とされた太古の種族なのだ。このイメージは第九の伝説として語られたが、後日ジル・ロマンによって再生され、新たに息を吹き返したのだ。  さらに意表をつくのはアダージオで、第三楽章が月の光線のように観客の間に入り込む。ジュリアン・ファヴローはあおさぎのように荘厳に前進し、胸や両手をまるで自分自身のなかへと沈めるような動作をする。第二の筋書きでは翼をつけたエリザベト・ロスが毅然と、優雅にくつろいだ様子で自らの腕を眺めている。舞台の真ん中に座っている彼らの周りでは、ほかのカップルが気取った様子で歩き回る。この泡のような親密さとともに終焉が訪れる。ベートーヴェンは愛の精なのだ。  続く第九の雑踏のなかで観客はいくつもの顔を目にする。とくに青年たちの輝きはまばゆいほどである。ひとつの足跡を残した公演、われわれはそれを歓喜と名付けよう。 <24heures紙> マレーに「第九」が立ちのぼる、魔法のように 見事な錬金術師、ジル・ロマンが結集したBBL、東京バレエ団、サンフォニエッタが、 水曜、チケットの完売した5回上演の初日に喝采を浴びた その晩の第一の奇跡、それはパフォーマンスのごとき音楽  そして思いもかけない公演の場に変容したこのスケート場に、ベートーヴェンが立ち上る。第一の奇跡、それはパフォーマンスのごとき音楽だ。オーケストラは、アレクサンドル・メイエが指揮するサンフォニエッタ。驚異的なニュアンス、なんという輝き、メロディの素晴らしい賛美!ジル・ロマンによるこの再演に、東京でズービンメータと共に参加したイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に、何ら劣るものはない。パスカル・メイエが指揮するローザンヌ・オペラ座の合唱団と素晴らしいソリストたちも、同様の巧みさだった。 ベートーヴェン、第一楽章。東京バレエ団のダンサーたち、なかでもソリストの柄本弾と梅澤紘貴が、日本公演よりも手狭な舞台の上に、驚くべき身振りを見せながら渦巻きを描き、音楽に広がりを与える。片方の手が上がり、次に片脚。次にもう片方の手、そしてもう片方の脚。それは目覚めであり、この世に存在することの喜びだ。それを空気のような軽やかさのキャサリーン・ティエルヘルムと大貫真幹、そして10人のBBLのダンサーらが踊る第二楽章が、探求し、掘り下げていく。 文化の衝突  続いて第三楽章に移ると、舞台は白に包まれる。愛の無垢をエリザベット・ロスとジュリアン・ファヴローが体現し、やがてリザ・カノ、ファブリス・ガララーギュ、カルメ・アンドレス、ガブリエル・アレナス・ルイーズが加わる。彼ら以外のものは視界から消え去り、目は音楽を聴き、何も見逃しはしない ―ポルテ、アラベスク、アッサンブレ、アティチュード...。そしてついに、第四楽章をオスカー・シャコンが導入する―驚くべき激しさで!イケール・ムーリョ・バディオラ、マーシャ・ロドリゲス、コジマ・ムノスがシャコンに再び伴い、全員がシラーの『歓喜の歌』の歌声にのせ、リズムに合わせ踊る。そして、一つに高揚する二つのバレエ団のダンサーたちを結集するダンスの渦のうちにこの荘厳なスペクタクルを閉じるのは、熱帯を飛び回る鳥のごときアランナ・アーキバルドだ。  東京バレエ団と『第九』の再演を選択したジル・ロマンは、現代の観客に規格外の作品を提示する。作品は強力で、エリート的でありながらも驚くほど大衆的で、共通の価値を共有しつつもそれを個々の感性で探求するダンサーたちによって踊られている。この文化の衝突が長い喝采を浴びたのは、そのためなのだ。いや増す美とともに、増大する幸福が観客の顔に見て取れた。人々は、振付家によるこの再演の瞬間に、幸福を感じていたのだ。すべてが人間を孤立させるために作られているこの時代に、こうした対話を持つことはなんという特権だろう。演劇、ダンス、音楽。これは錬金術なのだ...。